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仏作って魂入れず~火葬式(荼毘式)を寺院で行うことの安心と満足~

タイトルの「仏作って魂入れず」はせっかく仏像を作っても、御霊入れをしなければただの木や石で、

けして祈りの対象にはならいとの意味。

たかがAir… されどAir、火葬からの流れでお求めの 納骨堂 位牌プレート 遺毛 分骨カプセル ペンダント etc… 願わくば、それらには確かな意味が在ってほしい、

死んだ後の事なんて本当は誰にもわからないから、分骨カプセル一つにお骨を収めるにしても理由と納得が欲しい。

たとえば、ハイブランドが溢れた時代になぜ昔ながらの寺社仏閣の授与品が喜ばれ重宝されるのだろうか、それが「Airなコトが大切…」ということなのであろう。

それは火葬式をお寺の境内地で終え、愛する子を見送った人にのみ分かる安心感と満足感とに他ならないのではないか。

「安心」と「満足」とは人類の歴史と伝統に裏打ちされた習わしである。

 

 

記事:伊藤憲秀@kensyu_ito