仏作って魂入れず~火葬供養(荼毘式)を寺院で行うことの安心と満足~
タイトルの「仏作って魂入れず」はせっかく仏像を作っても、御霊入れをしなければただの木や石で、
けして祈りの対象にはならいとの意味。
~お寺での火葬という、心からの安心とご供養を~
大切な家族の一員であるペットとのお別れは、深い悲しみと同時に、感謝の気持ちで満ちた時間でもあります。
妙円寺「慈愛の丘 とそ動物霊園」では、その大切な旅立ちを心を込めてお手伝いさせていただきます。
「お寺で火葬をすることがいかに安心で、その後も満足であるか」
この想いを大切に、私たちはただの火葬ではなく、ご供養のひとつとして心を込めたお見送りを行っております。
妙円寺という歴史ある寺院の運営する施設で火葬を行うことで、
・仏さまのもとで見守られながら、心安らかな旅立ちができる
・ご遺骨を大切にお預かりし、納骨や永代供養もお寺で一貫して行える
・ご家族のお気持ちに寄り添いながら、丁寧な供養を続けていける安心感
といった、**「心の支え」**となる多くの安心とありがたさを感じていただけるはずです。
また、お参りに訪れた際には、お寺の静けさと温もりの中で、
大切な子の存在を感じ、語りかけ、心を癒していただけます。
どうぞ、妙円寺「慈愛の丘」で、大切なご家族にふさわしい安らぎのご供養をお選びください。
私たちはいつでも、あなたとペットちゃんの心を大切に、そっと寄り添います。
「安心」と「満足」とは人類の歴史と伝統に裏打ちされた習わしである。
~「かたち」に「こころ」を宿すために~
妙円寺 慈愛の丘 とそ動物霊園では、火葬を単なる終わりの儀式とは考えておりません。
私たちが大切にしているのは、その子の魂を、きちんとお見送りするという「こころ」の部分です。
「仏作って魂入れず」――
これは、いかに立派な仏像を作っても、魂を込める“御霊入れ”がなければ、それはただの木や石にすぎない、という教えです。
この言葉は、私たちが行う動物供養の根本でもあります。
火葬のあとに続く、納骨堂、位牌プレート、遺毛の保管、分骨カプセル、メモリアルペンダント……。
これら一つひとつの“かたち”には、どうか-確かな意味-があってほしい。
「死んだ後のことは誰にも分からない」からこそ、それぞれの想いを込め、
理由と納得をもって、供養の「こころ」を宿していただきたいと願っています。
今や、世の中は物にあふれ、ハイブランドも無数に存在します。
それでもなお、人々が昔ながらの寺社仏閣の授与品をありがたく感じ、手を合わせ、大切にするのは、
そこに**「目に見えない何か=“Airなコト”」**が宿っているからではないでしょうか。
それこそが、人の歴史と伝統が育んできた「安心」と「満足」のかたち。
お寺という特別な場で火葬式を終え、愛する子を見送った方々だけが感じられる、
静かな納得と深い癒し――それが、妙円寺 慈愛の丘でお届けしたい供養の本質です。
仏を作るだけではなく、魂を入れる。
かたちだけではなく、こころを込める。
それが、わたしたちの祈りのかたちです。
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