唐湊の馬頭観音さまが優しいお顔をされている理由について…〜ペット供養の守護仏〜
開園当時のテレビCMにも使われた、とそ動物霊園の象徴である馬頭観音像 ♫テーマ曲:伊藤憲秀
(※本編中の派手な霊柩車は現在使用しておりません)
〜馬頭観音とは?−そもそも日本人は「恐い顔」が苦手である。
十王伝説が受け入れられなかったように〜
ヒンドゥー教において、ヴィシュヌが馬の頭に変化して敵を倒したという伝承から、馬頭観音の姿に取り入れられている。 日本では、仏教の六観音という観音の六変化のうちの一つの姿として「畜生道」つまり野生動物たちの世界や家畜などの世界、近年ではペットの世界をも救う観音様として信仰されている。日本でも古来より、物流を担う馬の渡航安全や、競走馬の安全や成仏を願い競馬場の近くに、家畜の健康祈願として牛舎などに御札を貼ったり、道端にお堂を作り祈ってきた。
仏教怖い顔代表と言えば→お寺の門の金剛力士像・十三仏のトップバッター不動明王
・愛の兜の愛染明王・あの世の裁判官、閻魔大王・トイレの神様、烏枢沙摩明王・そして鬼といったところだろう。
まぁ、リアル世界の怖い顔代表→親父、学校の先生、部活の監督、お得意先の社長、そして妻…
みんな怖くて嫌である。願わくば、男女問わず観音様のようなお顔を眺めていたいものだ。。
−三蔵法師風〜唐湊馬頭観音の誕生エピソード−
はてさて15年前私は、生まれついての動物好きがこうじて、念願であった「動物の供養処」「動物のその後の聖地」を
作るべく動き出したわけだが、まずは何からというと、「荼毘室=火葬炉」と同じくらい大事なものが「合祀墓=合同供養塔」であると、ぼんやり認識していた。
これは、寺屋のせがれとして生まれ育った「感覚」というほかないのだが、「ペット霊園」とか「ペット葬祭」の合同供養塔のイメージというと、敷地の隅っこにひっそりとこじんまりとしてあり、目立たぬようにどうでもいい感じで作られている、とても寂しいイメージがあった。いただけない嫌悪感としてあったのだ。
という訳で、当初の予算はまず「寺(事)務所」「荼毘室」「合同供養塔」に振り分けることになった。
さっそく地元の石材店の社長に相談したところ、
「ペット霊園やれば馬頭観音じゃなかや、やっせんよ!馬頭観音!」
私も勿論そう思っていたので、合祀墓の守本尊は馬頭観世音菩薩で決まりだった。
「見てみやん!こいじゃが!良かどがな!?」
後日石材店の社長が持ってきて見せた完成イメージ図の馬頭の顔を見た途端。
やっぱり来たなコレ!キタ━━━━(゚д゚)!━━━━!!といった思いであった。
気合の入った「憤怒」そのものの馬頭観音の完成写真だった。
−−−−−−−−
馬頭観音(憤怒)
普通コレだもんな〜(ToT)コワイナー
−−−−−−−−
私は、
「恐っそろしか顔(汗)だいがこげな地獄の番人のような仏さんに可愛いかペットちゃんを預くんもんな、…社長の顔に似いちょらせんなぁ!?」
と社長にその旨を伝えると、次の打ち合わせが押していたので、そのまま石材店を後にした。。
「なんちな!?まこち言うもんじゃ〜!」……(帰り際なにか聞こえたような気がした…)
そして、ついに施工の日…唐湊の丘に降り立ったのは麗しい馬上姿の馬頭観音菩薩さまであった。
「おはんが言いたごっ、三蔵法師風の優しか顔の馬頭観音を彫って来たでな〜っ!」
と言うと、憤怒の馬◯観音は、
いや、石材店の社長は自慢のパジェロミニで去っていった。。

※馬頭観音には地域性があるということ、強面の三面像がメジャーだが、馬の顔に人体や、馬に乗った石像など石に馬頭観世音菩薩の文字のみ、馬の姿のみを掘ったものなど地域によって様々な形が存在するのである。
−都合よく、便利に。。心の赴くままに祈る−

柔軟な優しい仏教の仏たちの中には、ちゃんと動物を護ってくださる守護仏もいらっしゃる。
それが「馬頭観音」。憤怒の表情からは想像できないが、れっきとした観音様である。
何かと現世功徳・来世功徳と分けたがるが、聖徳太子の父親の病気治癒の祈願のために建立された、
法隆寺の薬師如来のように(間に合わず父は死去。その後、追善供養の本尊として鎮座)
神道と融合依頼、八百万神として信仰してきた日本人は、心の赴くままに祈り捧げるということだろう。
ルーツや伝統にとらわれずに、例えば涅槃会にいつの間にか居ないはずの猫を付け加えたり、
七福神が入ってくれば、日本代表の恵比寿さんを加えたりしてきたように。
何はともあれ今日もとそ動物霊園の'優しいお顔'の馬頭観音さまは、今日もこれまた優しい鹿児島の人々と愛玩動物たちを見守っています。
人も動物も大切に供養したお殿さま 島津義弘公菩提寺 法智山 妙円寺
鹿児島のペット火葬・葬祭・葬儀・供養 慈愛の丘 とそ動物霊園









