東郷平八郎と黒猫大明神、そして若き日の志〝勝ち寺”妙円寺に奉納した額縁〜猫を大切にすると運が開ける〜
黒猫を魔除けとして可愛がった東郷平八郎
明治の英雄・東郷平八郎は、かつて黒猫を魔除けの存在として大切にしていました。
その愛猫が亡くなると、自らの手で黒猫大明神(長野県長野市松代町)として祀り、深い敬愛を示しています。
東郷平八郎が若き日に妙円寺に奉納した額縁
若き日の東郷は、日置市伊集院町の妙円寺に「励」と「一致」と書いた奉納額を納めました。
それは朱色に塗った板でこしらえた、手作りの微笑ましい額縁でした。
力強くも、まだ未完成な字…
これは、禅寺ならではの精神鍛錬を意識した「励」、
そして、島津義弘公の“敵中突破”に通じる「一致団結」の意志を表しています。
神仏を敬い「魔除け」と称し猫を可愛がる心が、後の日露戦争における“勝利は絶対に困難”と言われたバルチック艦隊を撃破するという偉業へと繋がったのです。
それは、不屈の精神と、猫神を祀り、関ヶ原の戦いで的中突破を敢行し、薩摩を救った島津義弘とどこか重なるものがあります。
もちろん東郷も、その影響を受けていたに違いありません。
青年時代の島津義弘が憧れ、
石屋真梁や大内義弘由緒の妙円寺へ参ったように、
東郷の志は現代へ ― 妙円寺が特別だった理由。
妙円寺は、石屋真梁が建てた全国で1番目の寺である。しかし末寺は松元の直林寺1カ寺。
しかしながら日本最大級の寺院、末寺1000カ寺を誇った玉龍山 福昌寺(かつて鹿児島市池之上町に存在)
の兄寺となるところから、妙円寺は特別な存在だったという。
島津義弘公の志は、
やがて西郷隆盛や大久保利通、東郷平八郎、薩摩英国留学生たちへと受け継がれていきます。
彼らの精神の拠りどころとなったのが、島津義弘と菩提寺、妙円寺。
義弘公を偲び、彼の勝ち戦にあやかろうと、
今もなお「勝ち寺」として薩摩を見守っています。
〜動物を大切にすると運が開ける〜 妙円寺第六〇世 天外篤雄大和尚
-人も動物も大切に供養したお殿さま-
㊉ 島津義弘公菩提寺 法智山 妙円寺 慈愛の丘 とそ動物霊園