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生きとし生けるものすべて、そして施餓鬼法要…

生きとし生けるものすべて、そして施餓鬼法要

■施餓鬼法要とは特に禅宗寺院において鹿児島(薩摩)でも島津一門を中心に各地で盛んに行われてきた法要(県外では未だに超メジャー)です。

お盆法要といえば施餓鬼⇔施餓鬼といえばお盆法要なのです。

この世に生を受けた者すべて(一切衆生)に弔われる権利がある。そんな伝統仏教の法要です。
 

ただ火葬してしまえばそれでよいのか。
我々は、そこからが仏教寺院の努めだと考えます。
当霊園では毎年八月に施餓鬼大法要(自由参加)を行います。
また、甘露門(経)にて魚供養・牛供養・豚供養・鶏供養などの意味もあります。

■施餓鬼・施食法要について…。
施餓鬼法要のはじまり。

昔、お釈迦様の弟子に目連という人がいました。
目連は釈迦の弟子の中で神通第一といわれるほど、すぐれた神通力の持ち主でした。
皮肉にもその神通力を使って見た自分の母親のあの世の姿は餓鬼道で苦しむ哀れな姿でした。

目連の母親は生前、大変欲深く、人を裏切り、徳のない人生を送りました。
その報いが餓鬼道での苦しみでした。
困った目連は、釈尊に相談します。
釈尊は「お前の母親は一人を救うことはできぬ。今は亡き人々、動物たち、草花すべてのもの(衆生)を供養してこそ初めて、餓鬼道の苦しみから救われることだろう」と言うので、早速、目連は大法要を厳修しました。
そして得意の神通力で様子を見ると、母親は餓鬼道から救われていました。

これが施餓鬼抱法要のルーツです。

お盆には殺生を行なわずと、肉食はしないという風習も薄れてしまいましたが、一年に一度くらいはそのような考えに耽ってみるのもいいかもしれませんね。そして「お盆ペット供養祭」ともいえる機会です。

~罪の重き軽きあり。虫より魚は重し。魚より鳥は重し。鳥より獣は重し。獣より人は重し~(至道無難禅師)今日この一日も多くの生命に生かされて~

人への愛・動物への愛・自然への愛 有縁無縁三界萬霊等

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