お知らせ

火葬について…ペットちゃんのご火葬をどこでするのか?とても大切なことです。〜後悔しないペット火葬、たった一度のお別れだから〜

火葬について

生前の御姿とはこれでお別れとなります。

荼毘に付す。2500年前にお釈迦さまが火葬されたことが由来です。また、曹洞宗の開祖道元禅師も、鎌倉時代に火葬され、

江戸時代には全国各指定寺院に火葬所が設けられます。

現在、みなさんが火葬する施設を選ぶ基準とはなんでしょうか?値段・立地・移動火葬車・民営、やはり、その後の供養やお墓参りにつながることを考えれば火葬も「寺院」がいいでしょう。これからも連綿と受け継がれていく神聖な場所です。

実際に現在も、日本では寺社仏閣(神社仏閣)は「宗教法人法」という法律によって護られています。

これは宗教法人のみの特権です。安心です。

ただ、仏教寺院だからといってペット供養を行えない、すべを持たない宗派もありますので注意が必要です。

愛する子とのたった一度のお別れです。もう一度よく考えてみられてください。

慈愛の丘 とそ動物霊園では、火葬炉で御遺体と一緒に花束はもちろん、思い出の品(お気に入りのおもちゃ、おやつ、食事、写真、メッセージ等)持たせてあげることができます。基本的に金属類はNGです。

これで最後のお別れになるのですが、この火葬炉への御見送りが御遺族の感情がピークになりやすく、我々も一番辛い瞬間です。ご家族の涙は何度経験しても慣れないものです。いや、きっと慣れてはいけないのだと思います。

今までたくさんの涙をみてきました。
恰幅のいい中年の紳士が、泣き崩れたり、どうしても辛くて立ち会えないと控室で泣きながら待っておられる方、煙突から出る水蒸気を呆然と長時間見続けている方、火葬が終わるまでその傍からじっと離れない方。
しかし、その涙はいかにも美しくピュアな涙です。その行動は、あなたの家族であり親友であり、兄弟のようであったペットと呼ばれる生命への愛情の証なのです。決して恥入る事ではない極々自然な感情なのです。

昔、あの有名な一休禅師の元へ、ある村人が相談に来ました。
「一休和尚さん、私の家は先々月爺様が死に、先月は婆様が死んでしまいました。不幸続きで何か憑りついてでもいるんじゃないかと残った家族で気味悪がっているところです。」
と言うので、
「お主の亡くなった爺様は確か八十三だったな、婆様はちょうど八十じゃった思うが、なんと幸せな家かのぉ」と笑ったそうです。
「はぁ」
と不思議そうな村人に一休禅師が言います。
「歳の順にお迎えがくるほど幸せなことがあるか、娘や息子、働き盛りのお主なんぞが先に行ったらそれこそ不幸続きと言えるがな、のお。」
それを聞いた村人は安心して喜んで帰ったという逸話があります。

この話を思い出してふと思ったのですが、何度も言っている通り、ペットは人間よりも早く歳を取り我々の年齢をあっという間に追い抜いていきます。これは仕方のないことです。こないだ赤ちゃんだったのに十年も経てばもう自分より先輩になっています。
しかし一緒にいる時、御祖父ちゃんやお婆ちゃんと暮らす感覚の人はまずいないのではないのでしょうか。
ペットは幾つになっても自分より年下の息子や娘、また弟や妹のような存在であり、その死の際に見送るとき、実はこれがなんとも割り切れないペットとのお別れの感情(涙)として表れるのかもしれません。

御遺族の涙に触れる度に襟を正して作務にあたっています。 心をこめて一期一会の精神で火葬の儀にあたらせていただいています。 そして、そういう施設が増えない限りこの業界は世間にオーソライズを許されないのではないかと常々思って施設づくりに取り組んでいます。

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