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ペット供養・ペット葬儀は現代人のみの慣習か…

ペット供養・ペット葬儀は現代人のみの慣習か…

近年ではペットの火葬はもちろん、葬儀、供養など当たり前のように執り行うようになってきました。
ここ鹿児島県でも、たくさんの施設があると聞きます。

ペットの場合、その見送る方法は多種多様です。

※ただ一つ申し上げておきたいのは、ペット葬祭業者すべてが動物を好きだというのは幻想だということです。

大切な子とのたった一度のお別れです。後悔の無いようにお願い致します。

 

ペットの供養寺「 妙円寺 慈愛の丘 とそ動物霊園」の職員はペットを飼ったことのある、もしくは見送ったことのある方に限定して作務(職務)にあたっていただいております。

そして、御家族の“どこまで”に答えられるように、様々なプランを御用意しています。

沢山の仲間と眠れる合祀墓や納骨堂。家族と一緒にいられる分骨カプセルやペンダント(手元供養)
また大好きだった自宅の庭に散骨される方。
読経を頼み、御位牌まで作られる方。供養の仕方も人それぞれです。

これは、ペットブームと言われる現代における独特の慣習でしょうか?実はそうでもないようです。

 

○夏目漱石は「吾輩は猫である」のモデルとなった猫が死んだとき、「先日、埋葬の儀を箱詰めにして執り行いました」と友人に手紙を出し、その墓標に「猫の墓」と書いたそうです。
※小説「吾輩は猫である」のモデルの黒猫は明治41年9月14日の晩に病死。
※漱石が友人や弟子に送った手紙

辱知猫義久しく病気の処療養不相叶昨夜何時の間にか裏の物置のヘッツイの上にて逝去致候 舞葬の儀は車屋を頼み箱詰めにて裏の庭先にて執行仕り候。
但し主人「三四郎」執筆中につき御会葬には及び申さず候 以上

宛名は小宮豊隆、鈴木三重吉、松根東洋城などで、鈴木三重吉は「猫の墓に手向けし水も氷りけり」という句を献じたとのことです。

○そして未だに「人と動物の絆」として、最も多く知られているであろう、忠犬ハチ公と東京帝国大学(現東京大学)の上野教授との話。犬は群れをなす動物でありますから直感的に「飼い主は上野教授」と忠実に振る舞うものでしょう。ハチは、ある日脳梗塞で死去した飼い主の上野教授のことが忘れられず、その後十年間渋谷駅でひたすら待ち続けて死んでしまいました。お腹の中にはハチを哀れんだ人の与えた焼鳥の串が見つかったということです。死亡時(画像)駅員さんたちや渋谷の人たちはハチの遺体の下に板と藁を引き、皆で合掌をし、その死を悼んでいます。今出来得る限りのことで、お見送りをする。この行為も立派なペット供養でしょう。しかし、この実話はあまりにも切ないですね。今は青山墓地に可愛くも立派な祠をつくってもらい、大好きな上野教授と共に佇んでいます。また、この物語をハリウッド映画「HACHI」として逆輸入で知った方も多いのではないでしょうか。

○大智禅師と言う長崎の僧は座禅中にいつも好物の山芋を持ってきてくれた猿が、ぱったり来なくなったので、心配して山に入ると、岩の下敷きになって死んでいた。
その手には山芋が握られていた。大智禅師は涙を流しながら、石に猿の墓を彫ったという民話が残されており、現在でもその「お猿のお墓」が残っています。

○そして慈悲深き鬼と言われる戦国武将の島津義弘。朝鮮の役に、時刻を知るために連れて行った七匹の猫のうち、生き残った二匹の猫を連れ帰り、(猫の目で時刻がわかるんですね)大変可愛がり、その死の際には小さな神社を建立し、そこに祀ったと言います。
勇猛さで知られる義弘 公ですが、敵側の供養塔を建てたりと、大変信仰深い人であったと聞きます。
また愛馬の供養もしたという逸話もあり、その精神はここ鹿児島でのペット霊園の始祖的存在といえるのかも知れません。

我がとそ動物霊園も先人たちの慈愛の精神を受け継いでいきたいものです。

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