お知らせ

虹の橋のふもとと、三途の川。

皆様九月になりました。八月は開山(八年)以来最も多い動物供養の月となりました。

亡くなった愛玩動物(ペット)たちのご冥福を心からお祈りいたします。

さて、動物供養をしていて、よく耳にする話があります。

「虹の橋」。

 

 

素敵な話ですよね。虹の橋信仰はある程度のステイタスを持っています。

開園当初は私も、すすんでこの話を紹介していたものです。が、

物心ついたら、動物たちと一緒に育った私にはちょっと疑問が残るようになりました。

「なぜ?私を待っているのか?なぜ虹の橋のふもとで寂しげに、私を待っているのか?」

早く虹の橋を渡って幸せに暮らしてほしい。そう思うようになりました。

そしてその虹の橋を渡ったら、どんな世界が待っているのでしょう?

天国とは、キリスト教的な天国?浄土系が説く極楽浄土?それとも無宗教的な理想郷的空間世界?

虹の橋は宗教に関わらず、と語っていますが。虹を渡ったら。に触れていないのが疑問です。

そして多くの仏教者は動物の死後を、「畜生道」という括りで片付けてしまいます。

だからといって、動物愛好家なら誰でも知っているこの「虹の橋」を安易に語るのは宗教家としてどうなのかと思います。

ペットちゃんたちは野生の動物たちと違い家庭に中に入り込んで家族として迎えられています。

「畜生道」とは違うと思いますね。

逢いたいと思えばいつでも会える。

そう思って日々を暮らしていければ幸せですね。

ペットロスについては私のコラムを読んでいただければ幸いです。

また、「動物との再会」にフォーカスすれば「虹の橋」も素敵な話だと思います。

 

 

あともう一つ、仏教というより日本人の民間信仰には三途の川や六地蔵という存在があります。

仏教が偶像崇拝や民間信仰を取り込んできた歴史は古く、如来・菩薩の信仰、日本では、千年以上にわたって、最近まで神社(神道)とも融合していました。

仏教は柔軟にすべてを取り込める、常に進化する宗教です。人に愛され人を愛してきた愛玩動物が「畜生道」という一括で終わってしまうものなのか、今後議論は深まっていくことでしょう。

ところで、動画が「虹の橋」と比べると魑魅魍魎ですが。笑

 

 

 

※六文銭は真田幸村で有名ですが。生と同様、死もすぐ裏側にあると言うことにほかなりません。

別れは「生」の証。

 

今日は2つのお話を紹介させていただきましたが、何を信じ、心の支えとして生きていこうがあなたの自由です。

 

そして、いつか天寿を全うする時が来て、虹の橋のたもとだろうが、三途の川の向こう岸だろうが、大好きだった、動物たちが待っていてくれて再会を果たせたなら、それはとても幸せなことですよね。

 

    お地蔵さん「よく、頑張ってここまで来ましたね」

 ワンちゃん「はい!ありがとうございます。」

 お地蔵さん「ところで、この川を渡る船賃は持っていますか?」

 ワンちゃん「はい。ママが持たせてくれました。このバッグ(頭陀袋)に入っています。」

 

こんなやり取りをしているのかと思うだけで、ウルウルしてしまいますね。

 

とそ動物霊園では、希望者に限り。開眼供養済の六文銭の御札を無料で差し上げています。

事前にお問い合わせください。

 

あなたに可愛がれて愛された動物たちは、あなたが全うな生き方をし,

あなたが幸せな日々を送ってほしいと願っているといいます。

愛されているというのは素晴らしい事です。いつかまた会えると信じて日々を送っていこうではありませんか。

 

 

 

 

慈愛の丘 とそ動物霊園

         代表 伊藤憲秀